誰かとつがいになることと、「人生の自由」は両立しないものなのか

※あくまで一個人の意見であり、「モノガミー(一対一)性愛のみが正しく、それ以外は異常である」という見解に対し反論を述べたもので、「モノガミー性愛は異常である」という意図はございません。

いつの頃からだったか忘れましたが、創作物全般における「パートナー以外と肉体関係を持ったから浮気だ」「裏切りだ」という表現が私は苦手になってしまいました。
創作物だけでなく、実際の人の言葉でも、こういった「束縛めいた」表現は苦手です。
キャラクターに合っていれば、「うんうんそうだよね」とまだ見ていられますが、猫も杓子も「恋人を束縛する」キャラに変換されていると、ちょっとげんなりしてしまいます。

わかりやすいのでBL等のカップリング要素のある創作物を例として挙げますが、ある特定のカップリングのうち、
片方がある時別の人と肉体関係を持ったことを、もう片方が詰ったり、妬いたり、そういう作品は、大抵のジャンルで見受けられる、
ごくごく一般的なシチュエーションです。
男女カップリングものはあまり拝見しないので存じ上げませんが、おそらくそちらでも相当数見受けられるシチュエーションかと予想されます。
なかったジャンルを見たことがないくらい、王道と言っても過言ではないでしょう。

ですが、どうにも私はこの「お前は俺のものなのに、どうして他のやつと」的な文脈が苦手で仕方ありません。
まるで、「一度自分とつがいになったからには、他の人間とそういう関係になることは許さない」とでもいう傲慢さが透けて見えるとでも言いましょうか。
逆に言ってしまえば、「たかがそのくらいで切れてしまうほどやわい絆しかないの?」と突っ込みたくなってしまうというか。
「人間だもの、たまには自分以外と交友したい時もあるだろう」とか「自分を向いて欲しいなら、向きたくなるような何か(努力とか)をしたのか?」とか。
「不義密通」という言葉がありますが、それは「裏切られないだろう」と思っていた側の勝手な期待ではないのでしょうか?

もちろん「嫉妬したり、怒ったりするくらい相手のことが好きで大事なんだ」という主張があるのはわかります。
というか、大抵の人はそういう側面に萌えたり、涙ぐんだりするのだということも、理解できます。
だけれども、どうしても自分はそこに「相手とつがいの契約を交わしたからには、相手の交友関係にまで口をだして構わない」「相手がどういう希望を持っているかについて、とやかく言っても構わない」「そしてそれをコントロールしてもいい」という、恐ろしさをどうしても感じてしまいます。

なんというか、それは「愛情」というより「己のエゴによる執着」に見えるのです。
「本物の愛情」などという薄ら寒い言葉をあまり信じたくはないんですが、もしそういう物があるのなら、たぶん「相手の自由を縛り付けてまで自分と共にあってほしいと願う執着心」とは別のものなんじゃないか?とつい、思ってしまうのです。
まるごとなんでもOKを出せるのでなければ、本当に好きとは言えないのじゃないだろうか、と。
自分の都合のいい時だけ好きだというのは、都合が悪くなったなら不要だということなのに、それを「愛情」という言葉でコーティングして、自分の本心を偽っているのではないだろうか、と。

相手は相手であって、自分ではない。別の人生を歩む別の個体である。
アドラー心理学を紹介した「嫌われる勇気」でも繰り返し提言されていたことですが、「相手の領域」を侵犯することは、相手の人生を奪っているのと等しい行為で、それは相手との関係を対等ではなく上下関係とみなす一端です。
勝手に相手に期待を寄せたり、自動的に人間関係が続くことを盲信していたりするのを棚に上げて、相手の不義を罵る権利は、果たしてあるのでしょうか?
双方納得の上でこういった束縛関係を持っているのは良いのかもしれませんが、なぜか「そういう考え方をするのが普通、それ以外は異常」「考えたこともなかった」という空気を感じることが多いので、考えをしたためた次第です。

嫌われる勇気―――自己啓発の源流「アドラー」の教え

新品価格
¥1,620から
(2016/1/22 17:14時点)




記事タイトルにあるつがいになることと、人生の自由は両立する、と私は思っていますが、つがいになること=束縛してもよいことと考える人が殆どの現状では、それは難しいのかもしれないですね。

※補足
モノガミーってなんだ?と思われるかと思いますが、ざっくりひとことで言うとモノガミーとは性愛関係を一対一で捉える発想のことです。
対極…でもないですが、反対側にある概念を「ポリガミー」と呼びます。
こちらは、パートナーシップを一対一に限定しないという考え方です。
(ざっくり説明なので、詳細で正しい説明は他サイトさんを参照ください)
これらの考え方の相違がセクシュアルマイノリティに該当するかは諸説ありますが、
私個人は「少数派だが、確実に存在する」「性愛に深く関係するものである」という観点から、含んでもよいのでは?と考えています。
関連記事