おだまきとむらさきしきぶ

氏綱(新星)と為景

私も参加させていただいている大戦ときためアンソロ(https://pantomime36.booth.pm/items/173883に掲載の主催様短編漫画「おだまきとむらさきしきぶ」を小説にさせていただいたものです。
セリフはほぼ漫画(のプロット)をそのままお借りした身内企画。
漫画の方の為景さんの顔がめちゃくちゃ好みなんですがうまく表現しきれず悔しみ…ッ!



おだまきとむらさきしきぶ

 相州小田原の城には、それはそれは立派な花庭がある。
 四季折々様々な花が咲き乱れ、実を付け、目を和ませてくれるのだが、北条氏の当主・北条氏綱はその中でもとりわけむらさきしきぶの花が好きだった。
 ――花言葉がいい。「聡明」。私もかくのごとくあり、父を、家を支えねば。
 そう思ってこの花を眺めると、不思議と元気付けられるのだ。
 他方、この庭にはおだまきの花も数多く植えられていた。が、氏綱はなんとはなしにこの花を避けていた。
 昔はおだまきの花も好きだった。ただ、色合いに惹かれて食べてみようとしたところを、父早雲にこっぴどく叱られたのがいけなかったのかもしれない。
 以来氏綱はおだまきの花を見ると、そのことを思い出して恥ずかしさに苛まれてしまうため、この花があまり好きではなくなってしまった。
 ――おだまきの花言葉は「愚か」。愚かであっては、国を、人を守ることはできないのだから。
 それでいい、と思っていた。

 今朝方、氏綱はこの小田原北条氏自慢の庭へ足を運んでいた。
 昼刻から大事な客人をもてなすため、部屋に花でも、と思ったからだ。
 遠く雪国越後から来る客の名は、長尾為景という。
 彼は越後国の守護代を勤めており、今やその実力は主と仰ぐ守護上杉定実を凌ぐほどだ。つまり彼は、実質的な越後の支配者なのだ。四方を敵に囲まれている相模の氏綱としてはなんとしてでも彼を味方につけたかった。関東諸国に蟠踞する、強大な両上杉家に楔を打ち込むためには、彼らの後背に座する越後の力が必要だった。
 為景の辣腕ぶりを聞くにつれ、交誼を結んでおきたい気持ちは日に日に高まった。その後何度か手紙で贈り物のやりとりをしてからというもの、氏綱はいたく為景に惹かれてしまっていた。彼が氏綱と年恰好が近いというのも、その理由の一つであった。
 ――為景殿は我が父早雲とも手を取り合って、旧勢力の打破を遂げられた。そんな人物が我が味方となってくれれば、どれだけありがたいことか。
 未だくすぶり続ける対外の火種に頭を抱えながら、氏綱は花庭を進む。
 花壇に入ると、時期が良かったのかありがたいことにどの花も見頃を迎えていて、逆にどの花を選んだものか悩ましい。
 氏綱は頭を捻りながら花園の中を逍遥する。
 悩んだ末、むらさきしきぶの花にした。
 手ずから摘もうと屈みこめば、隣に咲いているおだまきが視界に入る。そうしてまた、あのことを思い出した。むらさきしきぶを好きで、おだまきを好きでない理由を。
 氏綱は小姓を呼んで花摘みを手伝わせると、やおら立ち上がってからりと晴れた小田原の空を見上げた。
 ――為景殿も聡明なお方だ。きっと気に入ってくれるだろう。
 とくに此度彼のは好みに合わせた名画まで用意したのだ。
 氏綱ははやる気持ちを抑えながら、花を抱えて居室へ戻った。

 正午を少し回った頃、為景が小田原へ到着した。
 訪問の労いやら、形ばかりの挨拶を済ませると、氏綱は為景を早々と己の私室へと案内した。
 政の話なら手紙でも出来る。それよりは彼の人となりを知りたい。そう思ったからだ。
 連れられてきた為景はというと、退屈そうに室内を見回していたが、飾られたむらさきしきぶの花を見つけると、「成る程」と呟き、氏綱が勧めるまま座についた。
 氏綱が、尋ねる。
「如何でしたか、本庄殿は」
 聞かれた為景は、一瞬困惑したようだった。まさか氏綱の口からその名が出るとは思っていなかったのだろう。
 氏綱の言う「本庄殿」とは、先年為景が元主・上杉房能を殺戮し新たな守護・上杉定実を担ぎ出したことに異を唱えて兵を挙げた北越後揚北衆の筆頭格・本庄時長のことである。二年ほど前、病で亡くなったと聞く。
 時長が蜂起した折、城は早々と落ちたが、その後も同族色部氏を頼るなどしつこく抵抗を続け、時の関東管領・上杉顕定の越後侵略の契機を作った。
 ――その親玉たる顕定殿でさえ、この男は殺した。事もなげに。
 為景にとって、彼らは路傍の石と同じであると父早雲がこぼしていたものだ。越後の奸雄、あるいは我が覇業の真髄をゆく者か、と。
 が、しかしどういうわけだか風の噂に為景がその時長に執心である。そう小耳に挟んだ氏綱は、折良くこの機会に聞いてみようと思っていた。余程手強かったであろう関東管領よりも、為景の心を捕らえて止まないその男のことを。
 是非に、と氏綱が再度答えを促せば、為景は何をいまさら、と言った様子で鼻を鳴らした。
「……如何も何も、ご存知だろうに」
「それでも敢えて、伺いたいのです」
 あなたの口から知りたい、と告げると、思案顔を作った為景は「ふむ……」と言いながら顎に手をやった。言葉を選ぶ時の彼の仕草はいつもこうだ。
 暫くして、この手の男にしてはしっとりとして妖しげな唇が音を発した。
「時長は、策も力も人望も……ありはしないのに、抗いたい一心で後先を投げうってでも背いた」
 まこと愚かな男であった。そう為景は述懐した。
「それから?」
 と氏綱が先を訊く。あまりの食いつきぶりに、為景は苦笑した。
 は、と再度鼻で笑って一息にまくし立てる。
「考えてもみてくれ氏綱殿。いくら揚北の連中が精強であるとは言え、顕定殿の進軍を待たずに蜂起したのだぞ?早計も過ぎよう。機を計れば、少なくともひと月などで落城する事もなかった」
 時長という男を小馬鹿にしたような言い草ではあるが、不思議とその響きには哀切が込められていた。いっそ望みが叶わなくて駄々を捏ねる童めいた不機嫌ささえ、滲んでいる。
「まるで、惜しいと言わんばかりの口ぶりですね」
 氏綱がそう指摘すると、面食らった為景は一瞬意味がわからない、といった顔をした。しかしすぐに言の意味を悟ったらしく、彼は愉快そうに膝を叩くと乾いた笑い声を立てる。
「……そうだな。些か言い方を違えていたようだ」
 そう口元をほころばせたが、氏綱には何を違えていたのかよくわからない。が、為景には説明する気は毛頭ないらしかった。
 すう、と目を細めると、彼は氏綱ではない「誰か」に向かってぽつりと愛おしげに言葉をかけた。
「ああ…あともうひと粘りしていてくれたなら、俺が直にその首を落とす事も、出来たであろうな」
 口惜しさと愛しさと、およそこの男が持つであろう最大の情を込めた、蠱惑的な笑みが口元を半月に彩る。
 ふ、とその視線をこちらに向けられた瞬間、ぞくりと肌が粟立った。
 ――背筋が凍るかと、思った……一体、なんて顔だ。
 そう思いながらも、氏綱は為景の貌(かんばせ)から目を背けることができなかった。いや、見惚れていた、というのが正しいかもしれない。
 咳払いをする振りでやっと視線を下ろしたものの、印象的すぎて脳裏に焼き付き、当分離れそうもなかった。
 ――きっと、彼らは、同じなのだ。たまたま姿形が違うだけの。
 そして私は彼とは違う。そう、気付いてしまった瞬間、氏綱の胸にちりりとした何かが走る。純粋に羨ましい、と思ってしまった。自分もこの男に、こんな顔で首を刎ねられてみたい、と。
 まさか自分にそんな欲望が眠っていることを知らなかった氏綱は、考えの恐ろしさに身を震わせたが、発言の主は気にするでもなく座を立つと、ずかずかとこちらに歩み寄る。
 驚いて頭を上げると、すぐそばで為景の歪められた美しい顔が氏綱を眺めていた。
「氏綱殿、」
 と、品定めめいた双眸がこちらを捉える。為景は、
「…貴殿は、聡明であるな」
 とだけ告げると、氏綱の傍らにあった絵画の巻物を手に取り、戸口まで悠々歩いてゆく。
「何を……」
 追いすがるように氏綱が腰を上げると、振り返りざま為景は、
「話は済んだ。そろそろ失礼させて頂くとしよう」
 と笑い、そのまま部屋を後にした。

 為景が辞したあとの部屋で一人、氏綱は暫くその場を動けずにいた。虚脱した目で部屋の隅にあるむらさきしきぶの花を見ると、なぜだか無性に腹が立った。
 ――私はおそらく、彼と刃を交える事はないのだろう。
 聡明だ、と断じられた己は彼に信頼はされど、殺したいほどに想われることはないのだと、現実に打ちのめされる。
 信を置くことが出来るほどに聡明であるがゆえ、その眼鏡に適うことはないのだと。それ以上はないのだと。
 ふと傍らに目を戻すと、いつの間にか用意させていた絵画の巻物が忽然と姿を消していた。
「あ、持って行かれた……」
 贈り物だと切り出す機を見損なってしまっていたが、為景はちゃっかりそれを貰っていっていたらしい。彼が好きだという様式の物を探させたので、これで歓心を買おうと思っていたのだが、話はそういう次元ではなかったようだ。氏綱はその絵画と共に、己の心まで持って行かれたような気すらしていた。
 それくらい、為景の想いは愛おしげであったのだ。
 背負う者ある身であれど、愚かでありたかった。己がその立場ならどれだけ良かったろうと思わせるほどに。
 ――私も彼の、おだまきでありたかった。
 ふらりと氏綱は窓辺に寄ると、青天を仰いだ眉間に手をかざしてひとつ、諦観にため息をついた。
「貴方はその、愚かな男が―」

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